ホーム > もえぎ設計 日常ブログ > 徒然日記

カテゴリ:  徒然日記の記事

タイトル:  「第49回京都保育のつどい」に参加しました

午前は、絵本作家の浜田桂子さんの講演がありました。「へいわってどんなこと?」という自身の絵本の紹介いただきながら、世界中のこどもに平和をという強いメッセージを受け取りました。

午後は分科会「子どもの豊かな保育環境づくり」に参加しました。昨年に引き続き私たち設計者の組合で企画した分科会で、今年は蜂ヶ丘保育園の新園舎づくりと青い空保育園の改修事例を報告いただき、参加された保育士の方々と設計者のメンバーで意見交流が行われました。乳児のプールや積み木の収納の工夫、調理室の有り様、改修による変化が子どもに与えるストレスなど話題は多岐に渡りました。

お金がないからできない、狭いからできないではなくて、子どもの豊かな発達を願って、様々な工夫ができることに共感しました。この催しに向けて「子どもの豊かな保育環境づくりの共同をめざして〈設計事例資料〉」というパンフレットを作りましたので、ご興味のある方はご連絡ください。

DSC_0081.JPG

タイトル:  ことらいふ嵯峨野 一周年記念行事

5月13日、あいにくの雨天でしたが、グループリビング「ことらいふ嵯峨野」の一周年記念行事が行われました。日用雑貨、産直野菜など商品盛りだくさんのガレージセール、占い喫茶コーナー、住み手の方のフルート演奏も含めた歌のコーナーと賑やかな半日でした。
IMG_4909.jpg
IMG_4910.jpg
IMG_4916.jpg
竣工して早いものでもう1年。見学者の受入れはもとより、様々な学習会、歌声喫茶、子ども食堂など、多彩な企画をこなしながらも皆さんが生き生き暮らしておられます。看板の下にもお花が植え込まれ、引渡し当時とは比べ物にならない素敵な住まいに変身しています。
IMG_4911.jpg
IMG_4920.jpg

タイトル:  コデマリとオオデマリ

少し前に事務所の玄関にコデマリとオオデマリという花を飾っていました。

4月下旬頃から咲く美しい花です。

コデマリ、オオデマリという似たような名前の花ですが、コデマリはバラ科、オオデマリはスイカズラ科に属すようです。

オオデマリが開花すると次は紫陽花の季節。梅雨なんてまだ先と思っていましたが、近くなってきましたね。

IMG_2202.jpg

タイトル:  住まい方図鑑-10

 この家に越してきて3度目の冬を前に2階の断熱改修をしました。以前に寝室のみ天井を部分改修しましたが、案の定別の部分が結露をおこし、またカビが生えて結局土壁の部分にもカビに襲われて、部屋の中はほぼすべてやり替えを決意しました。こうなる運命だったのですね。もともと1階のみ断熱性能を上げた改修をしたもので、室温が上がると断熱をしていない寒い部屋で結露が発生します。全体が性能が悪い場合は少々暖房をしてもそもそも室温が上がらないので、結露にはつながらないのでいいのですが、部分的に断熱性能が上がると、室温も上がるので、外部との温度差が上がり問題が置きます。こうなるともう追っかけ合いです。
 土壁の部分はフェノールフォームの25mmを内側に納めて石膏ボードを張り、土壁でない部分は一旦内部の壁(べニア下地にクロス貼り)を剥がして、壁の内部にロックウールを充填しました。少しでも安く上げるためにべニアの撤去は自分でやって、胴縁の廃材は薪としてストックしてべニア板のみ処分して頂きました。天井は既存の竿縁天井の下にフェノールフォームを入れて石膏ボードを貼った二重の天井になっていますが、断熱材の厚みはささやかなので、天井裏にもロックウールを敷いています。が、まだきれいに全ての場所に敷き並べられていません。それと試しにもう使わなくなったウールの毛布とかウールの掛け布団を敷き並べてみました。ちょっとでも断熱性能が上がるといいのですが、どうでしょうか。
 
 小屋裏は部分的に小屋裏収納にするために合板床にした部分があります。その他の部分との仕切りはないので、断熱がしてある天井裏が見えます。いつでも断熱材を足すことができるので、ちょっと様子を見ながら調整します。ちなみに合板床は天井を兼ねた12mmの床なのでこの部分は断熱されていません。まだほぼ使われていない部屋なので、何も結露などおきてはいませんが、同じように寝る部屋として使い始めると問題が出たりするのでしょうか。何かおきたらその時に対処します。
と、各部屋はこれでだいたい対処したのですが、階段室のみ未だ元の土壁のままです。それぞれの部屋とは区切られているので、何かおこるようなことはないとは思いますが、この階段を通って2階に暖気が上がるので、損失は大きいですね。面積としては少しなんですが、やっぱり後回しですね。

 もうひとつ気になっている部分の補修を始めました。壁・天井仕上げを自分で塗ったペンキ仕上げの部分で石膏ボードの継ぎ目部分です。下地のテープを貼るのを端折ったもので、ボードが目違いを起こして皆ひび割れを起こしてきました。自分の手抜きが今になって後悔です。

 仕上がった壁の部分にもう一度カッターを入れて隙間を作り、そこにボンドを注入してビスで止め直して継ぎ手に紙テープを貼りました。その上からまたパテをして塗装のやり直しです。自分で仕上げた内装の8割はこの仕上げなので、けっこうな長さになります。それをすべてやるかと思うと気が遠くなります。これは使っていない部屋ではなく、まさに生活のど真ん中なので、塗ったり貼ったりは良いのですが削る磨くは埃が出るので困ったものです。まぁそれでも表面の事なので後からでもなんとかなります。
 後からやるのが難しいのが断熱などの外皮の性能施工ですが、それも現状のモルタル壁に外張り断熱をすれば後からでも性能を上げていけます。たいていの事は付けたしていけるという事です。でも造り込んだ部分は剥がさないと改修できないので耐震強度と断熱性能はなんとか先に整えておきたいですかね。

IMG_0521.JPG

タイトル:  住まい方図鑑 9

 連休に妻が子供たちを連れて実家に遊びに行ったので、久しぶりに一人で家仕事です。友達に20年借りっぱなしの丸座卓を直します。フタバ家具の丸座卓は練り付け合板で縁を薄く削って少しデザインされたウレタン塗装のもの。20年使うと角から ぼろぼろと表面の練り付けの一枚が剥がれてきました。二枚目からはラワン合板なのでざらざらしたちょっと荒い表情がところどころ出てきていました。無垢の板を貼り付けようかとも思いましたが、そうでなくても元の厚みが28mm程ある合板なので重たいのです。これ以上重たくなるのは避けたいので、きれいに一枚剥がすことにしました。平ノミでこそぎ、サンドペーパーで磨くとそれなりにきれいになりました。このままでは水がしみてまた剥がれてくるので、元ウレタン塗装でしたが、今度はカシューで塗装することにしました。3回塗り600番ペーパーで磨いてとりあえず完成。ちょっと塗りムラが残りましたが、これであと20年使えるかな。

 次に玄関ドアの袖壁にガラスを入れようとスタンバイしていたベニヤ板を剥がして、腰の部分は腰板にして部分的にポスト用に掘り込み部分を付ける作業に取り掛かりました。松のフローリングの余りを小幅に切りそろえて外からフロアー釘で留めつけます。途中まで貼って上の方は中からに切り替え、外に少しへこんだ部分を作ってそこに郵便受けの籠を置いて出来上がりです。ガラスの部分はまた今度。暮らし初めて3年目ですが、いまだガラス部分はべニア板の仮設です。
ついでにまな板をひとつ作って、野菜用と肉用とに分けました。

 次にズボンのウエスト直しです。ちょっと腹周りがたるんできたので、タックの部分を開いて少し広げてみました。ミシンが居間の隅にありますが、壁に向いていてつまらないのでガケの方に向けると緑が見えて気持ち良くミシンが踏めるのではないかと思いつつ、今はめったに使わないので、保留です。
続きで小さな片掛けカバンをウエストポーチに作り替えるリフォームです。現場で調査をしたりする時にコンベックスとカメラと筆記用具と手帳と携帯電話を持ち歩きたいので、以前からほしかったのです。
次にメダカ用に大きな植木鉢を近所の人に頂きまして、底の穴をふさぐ作業です。白セメントをホームセンターで買っていたので、それに少し繊維を混ぜて穴の部分に流しこみました。それだけです。
このこまごました作業をするのに、作業をするための部屋がある訳ではないので、道具も材料もまとまっていません。大工道具は玄関の脇にある納戸に3割、外の物置きに6割、残りの1割は部屋の中の引き出しに。作業はテラスでやります。納戸や外物置は詰め込んであるので、いちいち引っ張り出して何がどこにあるのか探さないと欲しいものが見つかりません。これがほしいと思った時にあっち行ったりこっち行ったりと作業よりも道具を探すのに時間がかかります。

 裁縫関係の道具はあまりありませんが、布やら紐やらはたくさんあるので、2階に さらに分散されており、これまた欲しいものがどこにあるのやら。
これらをすべて6帖くらいの部屋にまとめてあって、壁には棚があって全ての道具と材料が整理されていたらとても効率がいいのにと思うのですが、そんな部屋は取れないのです。
これが世のお父さんたちが欲しがっている書斎なのか。と思い知らされます。大人の自分の部屋という事がおろそかなような気もします。この家の全てが自分の場所だと言われるとそうですが、そんなことではなく、思い通りになる部屋が欲しいです。
まぁ、道具やら材料やらがたくさんあるからなんですけどね。

IMG_0527.JPG


タイトル:  教育の現場をはなれて - 研究への新たな着眼

文・片方信也
 2014年3月に日本福祉大学を停年退職してのち、企業組合もえぎ設計の一隅を借りて、いわゆるライフワークの調べごとに取り組んでいる。そのコーナーを「装景学研究室」と名付けているのだが、その呼称は宮澤賢治の詩、「装景手記」から来ている。  その詩の中には、次のような一節がある。


この国土の装景家たちは

この野の福祉のために

まさしく身をばかけねばならぬ

 この3行は、拙著(『住む─都市と居住空間の設計』、つむぎ出版、2000年)の著者プロフィールで引用したことがあり、わたしはこの3行にその詩のエッセンスを感じ取ってきた。
 装景ということばは、田村剛の説(田村剛『造園学概論』、成美堂書店、1918年)から来ているようだ。田村によれば、まず、造園は「美はしく植ゑつけること」で、「『園』(庭園と公園との総称)を制作する術を造園術」としている。そして、「土地を美わしく経営する仕事即ち風景を美化し修飾する仕事」を「土地経営術(風景装飾)」とし、造園はその一分科に位置する。
 「装景」もこの造園と並ぶ「土地経営術」の一つで、美と実用の両側面を兼ねるという考え方である。田村は、経済性と実用に走って風景の美観を破壊しかねないことを避けるには両者を拘束する装景という「道徳」が必要で、その理想は「経済・学術・衛生・道徳・宗教等あらゆる方面と一致させる」ことであるとする。
 賢治の詩にある「装景家」は、その装景に由来しているだろう。おそらく、賢治は田村が装景を「道徳」とする見解に着目し、その理想の実現を職能として担う、いわば専門家、技術者の人格を装景家と名付けたのではなかろうか。詩は、唯神論の人々が、風景を「諸仏と衆生の徳の配列」とか、感情移入による情緒と外界との「最奇怪な混合」であるなどというが、そのような皮相に説明されるようなものではないと語る。
 そして、詩の全体を読み通してみる限り、「この野の福祉」の「野」というのは、そのような風景の考え方からは見えない、植物や動物、大気、海、大地がたがいに客観的に把握できるつながりの全体、つまり地球のスペースのことのように思える。そうしてみると、ここでいう「福祉」とは、そのスペースであらゆる生命体がたがいに支え合える状態を意味し、世の装景家は命がけでこの自然の摂理を守らなければならないと呼びかけているのである。
 田村は造園、さらには林学や農学分野が追求する経済性と実用性が風景破壊につながることを警告したが、賢治はそうした田村の問題意識をさらに深めて、その破壊の脅威が生命圏全体に及ぶことを詩のかたちをとって暗示したといえる。その思考の深さは、詩を読む者に感動を呼び起こし続けるだろう。

 ここで、賢治の思考の深さに驚嘆するもう一つの側面に触れておく必要がある。それは、1969年にJ.E.ラヴロックが提示したガイア仮説との共通性である。彼によれば、ガイアは「地球の生命圏、大気圏、海洋、そして土壌を含んだひとつの複合体」と定義される(J.E.ラヴロック『地球生命圏GAIA』、工作舎、1984年、36ページ)。その複合体は「単一の有機体とみなしていい複雑なシステムをなし、われわれの惑星を生命にふさわしい場所として保つ能力をそなえている」と考えるのである。
 ところが、この生命システムのなかでもっとも優勢な動物種、人間とガイアの間の力のバランスが逆転して、人間には、自然を「鎮圧され征服されるべき未開の力とみなす」思想が生まれた(ラヴロック、同書、38ページ)
 ラヴロックは言う。
「私のみるところ、いまだに大地に近い生活をしている田舎の人たちにとっては、ガイア仮説ごとき明々白々たることをとりたてて提起するなどわけがわからないらしい。彼らにとってそれは自明の理であり、いままでもずっとそうだったから。」(ラヴロック、同書、36ページ)
 社会が都市化していくにつれて、生命圏から汲み取る、都会の知恵袋への情報量が、地方の共同体、農村の地域に比べてどんどん減少し、かわって人間の知恵といえばほとんど人間関係の問題に関わるものに置き換わってしまったと見る(ラヴロック、同書、240ページ)。つまり、大地に抱かれるように暮らす田舎の人々と比べて、都市の人々は人間以外の生命体との有機的なかかわり合いの蓄積を豊かにする道を見失ってきたということである。
 かくして、人間とガイアの間のバランスが逆転したことが、こうした現象の背景にあるというのがラヴロックの見方である。ガイア仮説はその逆転への警告であり、同時に生命にふさわしい場所を保つ惑星の能力を回復するための道を示したのである。

  ところで、都市化の過程で人間の知恵がほとんど人間関係の問題に置き換わってきたのは、田舎の人々の暮らしなら人々を抱くように生活を根本から支えている大地が、都会人の生活からは遊離し、人間によって「鎮圧され征服されるべき」対象にされるという位置に大きくシフトしてしまったからであることが、ラヴロックによって示唆される。
 「自然と人為」の歴史的関係を見ると、社会的組織が国家中心へ収束し社会的自立を捨てる過程で、足下の自然との連関を失う傾向を強めてきた。「科学技術」「文明」がそれに結びつき、経済成長への信仰が19世紀まで東洋・日本の人々の心にあった自然=コスモス、天地の自然観を駆逐してきた。いま求められているのは、「自然とも結び付いた自立した社会組織」すなわち「環境と交流するグローバルな共同体」であると主張するのは、黒住真である(「自然と人為--つつまれる人/のりこえる人」『岩波講座 日本の思想 第四卷、自然と人為』所収、岩波書店、2013年)
 
 ところが経済成長の中で駆逐したのはコスモス、天地の自然観だけではない。こうした経済成長のもとで進んできた都市化現象のなかでの大地の人間からの分離と、その資源的な利用優先の本質を、戦後間もなく、アメリカの生態学者のA.レオポルドは次のように説明している。
「われわれは、土地がわれわれに属している商品であると見なしているために土地を乱用している。土地をわれわれが属しているコミュニティと見なすとき、われわれは愛と敬意をもって土地を扱うようになるだろう。」(Aldo Leopold、A Sandy County Almanac、OXFORD UNIVERSITY PRESS、ⅷページ、1949年)
 自然の資源的利用優先の考えが人々の心から奪ったのは、黒住の指摘するコスモス、天地の自然観だけでなく、この「愛と敬意」の情感であったのである。
 
 土地をコミュニティと考えるのはA.レオポルドによる倫理概念で、コミュニティとは、土、水、植物、動物を含み、あるいはその集合体と位置付けられる(同書、204ページ)。「われわれが属す」という倫理観は、人間もそれらすべての生命体とともにそのようなコミュニティ、すなわち大地という単一の有機体の一員であるという認識にもとづく知的感覚というわけである。 
 であるからこそ、この愛と敬意は、まさにガイアの思想を深く認識することによって、人間の心のなかに育まれる。そしてこの愛と敬意は、人間優位の驕りを捨てるようにわれわれ人類に求めているのである。
 賢治の「この野の福祉のために身をばかけねばならぬ」という装景家への問いかけは、まさにその道に身を投じることを示したのである。

タイトル:  住まいの変遷 第2回 ドレスデン編

 前回紹介したホームステイ先に住み始めて1年近くが経ち、いよいよ大学入試が近づいてきました。そろそろ勉強に集中でき、自由がきく一人暮らしがしたくなってきました。あれほど苦労していた部屋探しも、ドイツ語ができるようになれば、それほど苦痛ではありません。今回は時間に余裕があるため、フリーペーパーの広告欄を眺めながら気に入った物件だけに電話をします。余裕があるときに限ってトントン拍子に話が進み、あっさり部屋は見つかりました。
 町の中心にも近い5階建ての5階部分にある3人WG(シェアハウス)の一室。部屋は8㎡、トイレ風呂共用、キッチンなし(部屋に洗面器付)です。家賃がとにかく安く、光熱費込みで1.8万円。天井が屋根勾配に沿って低くなっていて、天窓が一つ屋根面に付いています。冷蔵庫は共用のものがあり、食事は電気プレートを使って作ります。洗濯機がないため、自転車で10分程のコインランドリーに通います。一見不便そうに思えますが、すごく快適に暮らしていました。
 同居人は無職なのになぜかいつも忙しくしてるドイツ人のおじさんと、40くらいでバツイチ子持ちの時計職人を目指して職業学校に行っているアイルランド人。たまに子供が遊びに来たり、ギター弾いたりしてました。そこに日本人の私が加わるので、多国籍でバラエティーに富んだWGでした。
フライブルクWG-01.jpg

 このフライブルク最後の住居となるWGには約半年ほど暮らし、その後ドレスデンへ引っ越すこととなります。ドレスデンへは大学入学が決まり引っ越すことになったのですが、ドイツの大学は外国人に非常に寛容で、日本の場合4年制の大学に一度入学していれば、基本学科試験は免除されます。あとは各大学が行っている語学試験があるのでそれに合格すれば、大学に入学できます。

 引越しは自転車に荷物を積んで移動します。ドイツの場合、電車に自転車を持ち込むことができ、週末ともなると車内は旅行の自転車とベビーカーで溢れかえっています。朝6時にフライブルクを出て、電車を乗り継ぎドレスデンに着いたのは夜の7時。自転車+大荷物と一緒の旅はさすがに疲れました。
自転車-01.jpg
 ドレスデンは旧東ドイツ、ザクセン州の州都であり、歴史的建造物も多く残る美しい街です。しかし、ドイツは北へ行けば行くほど日照時間は短く、天気も悪くなります。そのせいか以前住んでいたフライブルクと比べると人も街もどこか陰鬱な感じがします。
ドレスデン街並み-01.jpg
 
 ドレスデンで住むこととなった学生寮は15階建てのPC造、戦後の住宅難の時代に大量に建てられた建物です。これまでの経験から、入学が決まった際に学生寮の申し込みをしていたため、今回はそれほど苦労もせず部屋の確保に成功しました。家賃は東の方が物価も安いため、2.2万円位と格安ですが、「住まいの質」という点からは改めて東と西の経済格差を実感しました。
ドレスデン-01.jpg

 1フロアに3ユニット(1ユニット7人、2便所、2シャワー、流し)あり、計21人で共用の台所が一つだけ。住んでいるのはほとんど東欧系かアジア系の学生でした。各部屋15㎡くらいで、25㎡くらいの二人部屋もあります。
ドレスデン学生寮-01-01.jpg


 さて、始めは住むところの確保が大前提だったので、取り敢えずは学生寮でよかったのですが、長く住むには面白みに欠けます。そんなわけで、再び部屋探しを始めることになります。今回は大学に貼り出されている広告とネットを活用して探します。部屋探しは時間との勝負です。良い条件の部屋の場合、すぐに10-20人は問い合わせがあり、面接まで行けるのはそのうちの数人のみです。早いもの順という訳ではないのですが、出来るだけ早くに連絡をした方が印象が良いようです。
 毎回部屋探しでは十数件は見学に行き、部屋が気に入れば自分の意思を伝えて朗報を待ちます。ある部屋からは確約をもらっているけど、本命からはまだ連絡がない、でも今決めないとその部屋の契約がダメに・・・といった駆け引きもあり、まるで就職活動のような感じです。毎度のように苦労しましたが、今回は3ヶ月程で新たな3人WGを無事見つけることができました。
第3回につづく
 
ドレスデン工科大学の校舎
tud_beyer-bau.jpg

わたしが入学した前年に竣工した州立兼大学図書館。
post-91-0-63518300-1377595243.jpg
Slub-dresden.jpg
                                                                                                  

タイトル:  事務所でワインパーティーをしました

今月初めに事務所でお施主さんともえぎ設計メンバーでワインパーティーをしました。
おひさしぶりにお会いできた方もおられて楽しい時間となりました。

20150918.jpg
ドイツから取り寄せたワインにチーズやパン、鶏肉のアイスバインなどワインに合わせたものをいろいろ準備しておりましたが、大変ありがたいことに自ら料理を持参して来られた方もおられました。ありがとうございました。
4時過ぎからはじまり、お開きは9時くらいでしたが、飲みながら食べながら住まいの近況などなど尽きることなく、たくさんお話ができました。
仕事が終わってしまうと、なかなかお会いできる機会がありませんが、今後こうした交流をもてたらと思います!

タイトル:  住まいの変遷 第1回 フライブルク編

 先日「住まいの変遷」というテーマで記事を書く機会があったので、ブログでも紹介させてもらいます。
月に一度の更新で、3ヶ月の連載になる予定です。

 私は京都へ来る前に、20歳から30歳の間をドイツの3都市(フライブルク→ドレスデン→シュツットガルト)で暮らしていました。日本の住宅事情とも比べながら、ドイツでの住まいについて紹介していきます。
下はフライブルクの街並み。ドイツ南部の小さな市。大学都市、環境都市としても有名です。
freiburg-01.jpg
 フライブルクではドイツ語を学ぶため1年程、語学学校に通いました。振り返ると、最初の数ヶ月間は人生の中で最もつらい時期でした。理由は部屋探しです。フライブルクで通う語学学校は、日本にいる間にメールでやり取りをしながら申し込みました。部屋については語学学校が管理している寮もあり普通の部屋も斡旋もしているとのことで、安心しきっていたのですが、実際行ってみると「寮には空きがなく、賃貸広告(新聞の切り抜き)はリスト化してあるので、あとは自力で探してください」とのこと。英語もドイツ語もろくに話せない私にとっては、なんとも厳しい話。仕方なく電話をかけて探すわけですが、英語もままならない上、ドイツ語は全く理解できません。結局見つかるまで一週間程ホテルに泊まる羽目になりました。しかし、見つかった部屋も1ヶ月の短期契約で、8人でシェアする学生寮の一室。家賃は18 ㎡で2.5 万円位。そう簡単に良い部屋は見つかりません。実はこうした短期の賃貸はドイツではよくあり、そこに住んでいる間は家具や食器は自由に使えます。学生寮だけでなく普通の賃貸の部屋も多く、衣類やパソコンなども置いていったりするため、お互いの信頼関係が無いと難しいように思えます。しかし、なぜかこの賃貸形式は当たり前のこととしてドイツでは成り立っています。短期の借家人を探すのが面倒、防犯上問題が・・・というよりも、支払う家賃に対して合理的な解決方法を求めるところが実にドイツ人らしいと思います。

 学生や単身者は多くが学生寮かWG( シェアハウス) に住んでいます。家賃が安いというのが一番の理由だと思います。家賃は大体3万円前後。シェアハウスの場合、新たな借家人を探す際は現借家人が広告を出し、大家さんの条件に合いそうな候補者を何人か選び、その後大家さんが直接面接をして決定する、という流れが一般的です。敷金は主に現状復帰に充てられるため、多くの人は自分で壁を塗り直し、敷金を返してもらい、退去していきます。つまり、多くの場合不動産屋の出る幕が無いということになります。もちろん、あるレベルより上の物件の場合は業者を通して探すこともありますが、一般的な物件であれば個人の広告の方が圧倒的に数があります。以前は広告を出すには町のフリーペーパーが主流でしたが、今ではネットに無料で出すことができるようになり、手間も経費も相当に軽くなってきています。

 最初の部屋が見つかってすぐ次の部屋を探しましたが、フライブルクは慢性的な部屋不足。次の部屋も2ヶ月間の短期しか見つかりません。常に数週間後には家が無いというプレッシャーと共に日々を過ごし、とうとう今の部屋も来週には退去しなければいけなくなった時、友人がある家族を紹介してくれます。大型犬の面倒(主に1日2回の散歩)を見る代わりに3食部屋付きでホームステイをしませんかとのこと。語学学生の間はバイトもできず、資金には全く余裕がないので、願ったり叶ったりのお話です。これまで犬を飼ったことのない私が突然大型犬の面倒をドイツで見るということで、最初は戸惑いましたが、数ヶ月もすればすっかり慣れることができました。ドイツでは多くの飼い主が犬学校へ行きます。学校では飼い犬にしつけをするのではなく、飼い主が犬との関係性を学びます。そのためドイツの犬はとてもお利口さんで、電車やバス、お店の中にも飼い主と一緒にいる光景をよく目にします。

 私のような条件でベビーシッターとして住みこみで働き、語学学校や大学に通う外国人は多くいますが、犬の場合はドイツでもレアケースです。結局この家庭にはフライブルクを出てからもずいぶんお世話になり、唯一ドイツの家庭での暮らしが経験できた所でもあります。 山田

下はホームステイ先の間取り。延べ面積140㎡くらい、4階建ての建物に2つの家族が1,2階と3,4階にそれぞれメゾネット型で住んでいます。
間取り.jpg
ここからはあまり住まいとは関係なく、ホームステイしていた時の散歩コースの紹介になります。
散歩相手のTaroくん。犬種はバーニーズマウンテンドッグ、オス、体重45キロくらい。もとはスイスの犬なので冬は元気ですが、夏の暑い時期はバテバテです。P1020211 1.jpg
1日2回の散歩は、朝は短めで40分程、午後は1時間強。近くの森の中でロープを外して散歩します。①②③は眺望がきれいなところ。下の写真で紹介します。
散歩コース.JPG
森の入り口。使用済みガラス瓶のコンテナがあり、緑、茶、透明のガラスで分別されています。
02_森の入り口.JPG
林道。ちゃんと山道にも名前がついています。右の道はマルティン・ハイデッガー小道という立派な名前がついていて、その昔哲学者ハイデッカーがこの道を歩いて物思いにふけっていたとか・・・
03_林道.jpg
朝のコース。開けた原っぱがあり、ここでほかの犬ともよく会います。
04_朝のコース.JPG
木こりの矢印。これは林業関係者が道を示すため木屑で道に書いています。これを辿って進んでしまうと、道無き道を進む羽目になり、森の中で迷ってしまいます。
05_木こりの道.JPG
眺望① 山の頂上から町を見下ろした写真。町のシンボルである大聖堂がよく見えます。
6_眺望1 .jpg
眺望② もう一つの山の頂上にある城跡。
08_眺望2.JPG
眺望③ 農家の畑の間を通って帰ります。ここでは牛や馬も放牧しているようです。
09_眺望3.JPG

タイトル:  京都市北区 K邸アトリエを訪ねました

RIMG0059.JPG

K邸アトリエにおじゃましました。

お住まいの横に建てられたご夫婦それぞれの趣味の空間です。表にかかった看板には「しょくらくゆう」と書かれています。北区のまちなかにありながら、畑にはしっかり野菜が育っています。

1階は、H(夫)さんの陶芸の部屋、それと瓢箪づくり。2階はK(妻)さんのキッチン(+ご夫婦の寝室)。

この日は、2階で3時からバレンタインにちなんでチョコづくり。手作り家具の配膳台を囲んで、話がはずみます。

竣工後3年が過ぎ、杉板もいい感じになじんでいました。ペレットストーブが入って、ゆったりとしたひとときが流れていきました。
RIMG0054.JPG
RIMG0062.JPG
RIMG0068.JPG